同じ写真を二十三年撮り続けて、やっと気づいたこと 二十三年間、毎年お正月に同じ写真を撮ってきた——みんな同じポーチの階段に並んで、ほぼ同じ順番で、同じ午後の日差しに目を細めながら。 その二十三年のうち二十二年、私は写真を撮るのに文句を言っていた。面倒なことのように感じられた。もっと面白いことから五分間を奪われるようで、祖母は誰がどこに立つかであれこれ気をもんでいた。 今年、二十三枚の写真を並べて見直して、私はやっと祖母が何を築いていたのか理解した。 ――― 最初の一枚では、 私は四歳で、 母に 横抱きにされている。 じっとしていなかった から。 祖父は 今父が立っている 場所に 立っている。 父は 今私が立っている 場所に 立っている。 その写真の中の 誰も、 まだそのことを 知らなかった。 ――― 十一枚目までに、 祖父は いなくなっていた。 ポーチには 誰も埋めなかった 隙間ができた。 一年間、 私たちは 祖父が立っていた場所に 自分から 立つことが できなかったから。 十二枚目までに、 ついに誰かが そこに立った。 祖父の代わりに というわけではない。 ただ、 その列が どうにか 閉じなければ ならなかった。 そして閉じることが、 続けていく 唯一の方法のように 感じられた。 ――― 十八枚目までに、 私の身長は 一枚目の写真の 父の身長になっていた。 娘の身長は、 当時の私の身長で、 横抱きにされ、 じっとするのを 拒んでいた。 そして枠のすぐ外では、 母が今、 祖母が 毎年これを 続けると 言い張り始めた頃の 年齢になっていた。 ――― 同じ写真の二十三年間が本当に示すもの 一つの瞬間ではない。 あまりにゆっくり 変化するから、 動いているのが 見えない形—— 海岸線が あまりにゆっくり 浸食されて 気づかないうちに、 2003年の写真と 今日の写真を 比べてみて初めて、 海岸線全体が 別のものに なっていたと 気づくように。 ――― なぜ祖母は決して省略させなかったのか 何年も前、 祖母に一度聞いたことがある。 なぜ 毎年、 雨の日も晴れの日も、 病気の時も元気な時も、 こだわり続けるのかと。 祖母は言った。 「いつか 誰かが見たいと 思うだろうから。 私たちが 一緒に立っている姿を。 そして一年のうち、 みんなが 本当に 同じ場所にいるのは、 この一日しかない から。」 その時は 理解できなかった。 今は 理解できる。 同じポーチの 二十三年間を、 同じ階段を、 そこに立った すべての人を 見ながら。 ――― ホメリアから 一枚の写真はほとんど何も教えてくれない。同じ写真が二十三枚あれば、すべてを教えてくれる。 ――― 記憶のプロンプト 一つの瞬間を選ぼう——休日、誕生日、繰り返される機会なら何でもいい——そして毎年、同じシンプルな写真を撮ることを約束しよう。十年後にそれを見返してみよう。かかった五分を後悔することはないだろう。

2026/8/11
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