私は、母がかつて私を食べさせてくれたやり方で、母を食べさせるようになった

介護というものが、始まったときとまったく同じ仕草で巡ってくることを、誰も教えてくれない——私の人生最初の二年間は、母の手でスプーン一杯ずつ食べさせてもらっていた。今は毎晩、母に同じことをしている。二人とも、この対称性を声に出して話したことは一度もない。

初めて母に食べさせたとき、私の手は、母のどんな時よりも震えていた。

―――

母はずっと 同じやり方で 私に食べさせてくれた。

小さなスプーンで、

冷めていても まず息を吹きかけて。

習慣から。

その仕草は

温度とは 何の関係もなく、

用心深さに 姿を変えた愛 そのものだった。

初めて 私が母に食べさせたとき、

脳卒中が 右半身の力を 奪った後、

私は考えることもなく スプーンに息を 吹きかけていた。

母がいつもそうしていたように。

母は私を見て、

思わず笑いそうになって、

言った。

「覚えていたのね、 それ。」

覚えていたのではない。

私の手が 覚えていた。

―――

介護が本当に教えてくれること

誰も準備させてくれない、

スケジュール、 薬、 予約の数々が、

仕事、 結婚、

自分の子どもたちの上に

積み重なることを。

誰も準備させてくれない、

母の服を 着替えさせている その瞬間、

母が謝る、

その半秒の間に、

あなたは 決めなければならない、

冗談で 軽くするか、

それとも

本当に 重いままに させておくか。

私は冗談を選んだ。

母には

自分の状況を 笑い飛ばせる人間で まだいてほしかった。

ただ 介護される人間 だけではなく。

―――

誰も警告してくれない部分

一番つらかった瞬間は、

身体的な介護ではなかった。

ある夕方、

母が私を 妹の名前で 呼んだ時だった。

私の叔母、

十一年前に 亡くなった人。

私は訂正しなかった。

その

三十秒の間、

母は

その一週間で 一番幸せそうに 見えたから。

明らかにまだ 必要としている 妹と話しながら。

私は決めた。

その夜の私の仕事は、

正しさを 証明することではないと。

母に

望んでいた妹を 持たせてあげることだと。

―――

今、私が理解していること

介護は 返している 借りではない。

取引でもない。

「今度は私の番」 でもない。

それより

もっと シンプルで、

もっと 難しい。

それはただ、

私がまだ 話せなかった頃から 始まっていた 会話を、

続けているだけだ。

二人が

本当に 必要としていた 唯一の言語で——

現れること。

もう一度。

また もう一度。

また もう一度。

―――

ホメリアからひとこと

いつか、あなたを食べさせてくれた手が、食べさせてもらう手になる。それは悲劇ではない。愛が一周して戻ってくるときの、その形だ。

―――

やってみよう

親の介護をしているなら、自分がいつの間にか繰り返している、親の仕草を一つ書き留めよう。まだそこに至っていないなら、どんなふうに介護されたいか、一つ聞いてみよう。

2026/8/24
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