両親は二つのスーツケースを持ってやってきた。中身は一度も教えてくれなかった

私の両親は、二人合わせて二つのスーツケースだけを持って移民してきた。三十年間、私は一度も中身を聞いたことがなかった。服だろう、写真もあるかもしれない、そういう当たり前のものだと思っていた。

去年、父が亡くなった後、クローゼットを整理していて、そのうちの一つを見つけた。まだ奥の方に、思いもよらなかったものが詰まったまま。

―――

服ではなかった。

聴診器、

父のもの、

私たちが 出発する前、

十一年間 働いていた 病院の。

そこで父は

尊敬される 医師だった。

でもここでは、

最初の六年間、

配達のバンを 運転していた。

彼の学位は

新しい大陸では

何の意味も 持たなかったから。

父は一度も

私の前で

それについて

愚痴を こぼさなかった。

小さなノート、

一つ一つ手で 書き写した 英単語で 埋め尽くされていた。

四十一歳で

言語を 練習していた、

一日中運転した あとに。

いつか

また

医師に戻れるように。

それには

さらに九年 かかった。

一枚の写真、

父自身の父親。

私たちが出発した日以来、

二度と 会うことはなかった人。

四年後、

海の向こうで

亡くなった。

父は

その葬儀に

飛ぶ費用を

工面できなかった。

―――

私が一度も聞かなかったこと

私は

父の訛りに

苛立ちながら 育った。

配達の バンの年月に、

医師に 戻るまでに

あんなに長く かかったことに、

苛立ちながら。

理解していなかった。

その苦闘の

一年一年が、

父が

意図的に

選んだ年月

だったことを。

私が

四十一歳で やり直す感覚を、

自分のものでない 言語で、

決して知らずに済むように。

その代価に

気づく前に、

ほとんど手遅れになる

その日まで

理解できない 子どもたちのために。

―――

私がやっと理解したそのスーツケース

父がそれを 持っていたのは、

聴診器が 必要だったから ではない。

ノートが 必要だったから でもない。

それらが

証拠 だったからだ、

自分自身のための。

すべてが 不可能に感じられる 日々に、

自分がかつて

何者かで あったこと、

そして再び

何者かに なるだろうということの。

配達をしている その男は、

物語の すべてではなく、

ただの 一章に

過ぎないという 証拠。

自分の子どもたちには

自分で 読ませたくなかった 一章。

―――

ホメリアから

移民の親は、めったにその代価を語らない。ただ静かに、何十年もかけてそれを払い続け、あなたが決して聞かずに済むことを願うだけだ。

―――

記憶のプロンプト

親や祖父母が移民した経験があるなら、何を持ってきたのか、なぜそれを選んだのか聞いてみよう。まだ答えを知らないなら、それが今週の質問だ。

2026/8/24
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